このページでは、名古屋熱田社会保険労務士事務所の代表である私、小坂健太の、「これまでの人生について」書かせて頂くこととします。
ありのまま、うそ偽りなく誠実に書かせて頂きます。
弊社会保険労務士事務所の代表である私が、信頼に足る人物であるかどうかをご判断頂くための、一つの材料として頂ければと思います。
それでは恥ずかしながら書かせて頂きます。
私が社労士となる最初のきっかけは14歳の頃でした。
とある事情から私が妹の世話係となったのです。勿論、当時中学生であった私では全くの力不足でした。今思えば反省する点が山のようにあります。
しかし今では、当時の環境に心から感謝しております。この経験から人を育てることに興味を持ち、この後『人の成長』に携わる保育関係の仕事を選ぶこととなったのです。
そして今では、助成金申請の代行をはじめ、愛知・名古屋の中小企業の成長をお助けすることができる、社労士というやりがいのある仕事で事務所まで開くことが出来ているのですから。
私が18歳の頃です。私は経済的な理由などにより大学進学を諦め、家計を助けるために食品スーパーのレジ係をしておりました。
とはいえ、まだ大学進学を完全には諦めきれませんでしたので、朝から夕方まではバイトをし、夜は自宅で勉強して日々を過ごしておりました。
学卒の学歴が欲しかったわけではないのです。まだまだ知らないことが多く勉強したかったのです。
しかし、そのような生活をしているうちに、数年にわたって苦しめられることとなった、あの病にかかってしまったのです。
私が21歳の頃だったと思います。ある日、急に目の前が回り始めたのです。まるでひどい船酔い状態のまま、船から陸にあがった時のようでした。そしてひどい吐き気に襲われました。
名古屋で数件の病院にかかり『メニエール病』と診断されましたが、時すでに遅しでした。初期治療に失敗しているため、悪い状態で病状が固定してしまっていたのです。
それから1年半は寝たきりの生活となりました。体重も最初の1月で10kg減り50kgを切りました。栄養剤の点滴に毎日のように通いました。動けるようになった後も無理をすることができず、結局は治るまで3年もかかったのです。
しかし良いこともありました。放送大学という通信制大学の存在を知ることができ入学したのです。
入学金が2万円の1単位5000円。124単位をとらなくてはなりませんが、70万円もあれば卒業できるのです。
現在ではもう卒業しておりますが、働きながらでも大学の勉強ができると当時は大喜びしたものです。
私が24歳の頃です。病の治った私は、名古屋で学童保育所という所で保育関係の仕事につきました。
小学校が終わった後から夜7時頃までの間、小学生を保育する仕事です。
また、学童保育所の給料では苦しかったため、朝の3時半から朝刊配達もしておりました。
学童保育所では、子供の自主性を大事にするために自由に遊ばせることも重要ですが、集団生活であるため一定のルールを教えることも大事でした。
勉強もさせなくてはなりません。押し付けるだけでなく、子供たちに勉強の大切さと必要性を教えなくてはいけませんでした。
色々と問題もおき大変ではありましたが、とてもやりがいのある素晴らしい仕事でした。
私が28歳の頃です。当時私の父は名古屋で、「従業員100名程度の会社の労働組合長」をしておりましたので、会社と従業員の間の問題についてよく聞かされたものでした。その度に思ったものです。
従業員は皆で結託し知恵を出し合っているが、「社長は一体誰に相談しているのだろうか?どうしたらよいか分からず困っているのではないだろうか?」と・・・
そして社会保険労務士という、助成金申請をはじめ、名古屋の中小企業様の経営のお手伝いをすることができる、国家資格のことを知りました。
保育の仕事は好きでしたが社労士に惹かれる自分がいました。
そして決心しました。社会保険労務士となって愛知・名古屋の中小企業様の成長をお助けする仕事をしようと。
それからは寝る間も惜しんで独学で必死になって勉強しました。その結果、幸いにも4ヶ月後に一発で試験に合格し、晴れて社会保険労務士となる事が出来ました。
勿論、社会保険労務士となってからは更に勉強する事となったのは言うまでもありません。
助成金や労働・社会保険手続、就業規則についての実務の勉強は勿論のこと、定期的な講義やセミナーへの参加、判例についての勉強、法改正についてなどと数え上げたらきりがありません。しかしどれも楽しくやりがいがありました。
そして31歳になった時、ついに名古屋熱田社会保険労務士事務所を開所致しました。
開所に至るまでの間にどのような社会保険労務士事務所にするかを深く考えました。
その結果、私が目指したのは、愛知・名古屋の、そして全国の中小企業の経営者様が喜ぶような事を徹底的にやるような、そんな社会保険労務士事務所を目指す事でした。
具体的にはまずは値段です。これを最安値級にする事を大前提としました。安いのを喜ばないお客様はいないからです。
次にサービスです。安かろう悪かろうでは全く意味がないので、格安でありながらも最高クラスのサービス内容に出来るように、プログラムやHPクラウドシステム等を作り効率化を進めた結果、最高クラスのサービスを提供する事が出来るようになりました。
又、助成金申請に特化した社会保険労務士事務所も目指しました。助成金申請代行を嫌がる社労士が大変多いのですが、愛知・名古屋、そして全国の中小企業の経営者様がもっとも喜ぶ社労士の業務が助成金申請だと考えたからです。
助成金特化型を目指したとはいえ、どんな助成金でも取り扱う気はさらさらありませんでした。
なぜなら、一時的には助成金というお金が入ってきて会社が潤っても、長い目で見ると助成金収入以上に、会社から余分なお金を支出するしなくてはならない助成金が多いのを知っていたからです。
その為、お客様の事を第一に考え、長い目で見たときにも会社の為になる良い助成金に特化する事にしました。
名古屋熱田社会保険労務士事務所が目指した事はまだあります。手続顧問にご契約頂いているお客様が出来るだけ楽をして頂けるようにしました。
その為に、長い時間をかけてHPクラウドシステムを完成させました。
このシステムにより手続顧問のご契約者様が24時間いつでも弊事務所に手続依頼をする事が出来るようになり、更には、いちいち弊事務所に電話する事なく、労働・社会保険手続を完了させる事が可能となったのです。
このようにして今の格安・高サービス・手続楽々・助成金特化の名古屋熱田社会保険労務士事務所が完成したのです。
そして今では、助成金申請や顧問契約のご依頼等、愛知・名古屋の数多くの経営者様からご支持を頂けるまでになりました。大変有りがたく思っております。
現在に至るまでの私の人生を簡単に述べさせて頂きましたが、如何でしたでしょうか?私は信頼に足りそうな人物でしたでしょうか?
この文をお読みになり、少しでも私という人物や、名古屋熱田社会保険労務士事務所という助成金特化型の社会保険労務士事務所に興味を頂けましたら、どうぞご遠慮なくお電話下さい。
私を始め、職員一同が心よりあなた様からのお電話をお待ちしております。